安楽死について
「死ぬ権利は生まれる権利と同じ」という言葉の重みを感じました。
スペインでは安楽死法が成立して1年経ったというニュースを見て、驚いた。
なぜならば「本心」という本を最近読んだのだが、その本では近未来の話で、安楽死がOKな時代だったのだが、すでに現代でも安楽死がOKな国があるということを恥ずかしながら知らなかったからだった。
なぜ安楽死が法律で認められるようになったかというと、例えば、体が不自由な人がいて、自分の力だけでは自殺できない場合に誰かに自殺を手伝ってもらうことが罪に問われてしまうからなのだ。
日本でも評論家の西部邁さんの自殺を手伝ったとし、逮捕された事件が記憶に新しい。
スペインでは国民の9割の人が安楽死法に賛成ということで、法律が成立されたという。
その番組では19歳の時に交通事故に合い、首から下が動けなくなった方が取材されていました。何年か前から強い痛みが全身に広がるようになり、地獄のようだったということで、安楽死法の成立を求めているということでした。
その人は安楽死法が成立してから選択肢があることは生きる支えになったといいます。
スペインの国民性の違いも多分にあるだろうけど、日本ではまず成立しないだろうなと思いました。
なぜなら政治家が保守的な人が多いので、海外ではいろんなことが進んでいても日本ではなかなか進まないからです。
とはいえ、死ぬ権利があるという言葉にはかなり衝撃を受けました。
スペインでは成立後、1年で160人もの人が安楽死を選択して亡くなったということです。
これもまたかなり衝撃的な数字でした。その方たちは毎日痛みが辛くて生きられないという方なのか、それとも若者も選択しているのか、非常に興味を持ちました。
日本でもし安楽死法が成立したなら、自殺を考えている人も適用するかもしれないと思ったらそれはいろんな議論が巻き起こるだろうと思いました。
みなさんは安楽死についてどう思いますか?
40代からの運転免許
6月一念発起して車の運転免許を取るために合宿に行ってきました。
大学のときに免許を取るタイミングを逃し、そのまま東京に就職。
東京では免許がなくても生活ができていたので、そのまま取らずにいました。
なぜ今回取ろうと思ったのかというと、ひとつは昨年の正月におかんが東京に遊びに来て、弟が運転してくれていろんなところに連れて行ってくれました。
遠出をしたので、弟が疲れていたので、そのときにやっぱり俺が取っておけば、交代できるのになぁと思ったわけです。
あとは実家が鹿児島なんですけど、鹿児島は車社会で車がないとけっこう生活が不便で、おかんとおとんももう70代後半なので、何かあったときのために取っておいたほうがいいかなと思ったのです。
幸い、今の私の仕事は個人事業主で、どこにいても仕事ができるので、安い合宿で運転免許を取ることにしました。
鳥取の合宿だったんですけど、いきなり当日から車に乗るというのにはびっくりしました。
1日2回くらいのペースで乗るんですけど、合宿開始から7日間くらいで仮免がやってきます。
けっこうハードスケジュールで、合宿しながらも仕事をこなしながらやっていたので、あっという間でした。
卒業試験は教官から強制停止されないか冷や冷やでしたけど無事合格。
帰った後は地元で学科試験を受けて1回落ちたけど2回目に合格して取れることができました。
今回のことをきっかけに思ったことは、40代だからこそチャレンジする喜びもあるんだなと思いました。
免許というゴールに向かって集中していき、合格したときの喜び。
何かを目指してチャレンジすることの喜びを感じました。
発言できる人と発言が苦手な人の違い
私は会議で発言するのは得意なようで、どうも他の人よりも違うということを日に日に感じるようになってきたので、記事にしてみることにしました。
でも、その理由を考えてみるけどよくわからないのです。
そりゃ、この現実は実在しないということは理解しているから、それで周りのことを気にしないということはあるでしょうけど、感情を露わにすることも私はたびたびあるのですが、特にこの点に関してはかなり特異な点なようです。
あとは役割というのもあると思います、ここで聞いておかないと組織にとってよくないだろうという考えも瞬時に働くのです。
発言しようという考えが出てから発言する間がかなり短いと思います。
考えが出ると発言できなくなりますから。
ということで、発言できるためのプロセスとしては
1理解できてないことを意識化する
2意識化したものを言語化する
3発言する
という3ステップがあるのですが、たぶん2と3の間に考えがあると思います
この考えを一瞬でゼロ化できるかどうか。
たぶん私の場合は2と3の間がほぼないので発言できているのではと思います。
男性と女性の境界線について
先日トゥルーサーズというイベントに参加しました。
今までの女性性とこれからの女性性の違いについて考えさせられるイベントで
スペインに住んでいるまきさんが話していたことで印象に残っていたことがあったのでご紹介します。
スペインで2018年に国際女性デーの日に男女差別に反対するために「女性が止まれば世界は止まる」というスローガンを掲げて530万集まったという出来事を紹介していて、女性と男性と分けるのは今の時代はLGBTで性が細分化されていて、どこからどこまでが男なのか女なのかがわからないという根本的な問題に直面しているという話があってなるほどと思いました。
体が男性だからと言っても女性の心を持っている人もいるわけで、目に見える世界だけに依存していては問題は解決できないということがわかりやすい事例で紹介されていると思いました。
普段私たちがなかなか考えたことのないことを考えられる場となっているので、次回も楽しみです。
リーダーシップセミナーの感想
先日8日間のリーダーシップセミナーに参加しました。
どんなセミナーなのかというと人類が始まって以来解決したことのない問題を明らかにして、その解決法も明確に指示しているというセミナーでした。
個人の問題って一見その人にしかない問題だと思うのですが、その問題の共通点を結びつけるんですよね。
例えば私の場合はモチベーションをいかにアップするのかという課題があったのですが、他の人の課題って例えば人間関係を改善するにはどうすればいいのかというようにひとりひとり解決したことってバラバラに見えるわけですが、実はその問題はひとつしかないというところに帰結してしまうのがすごいなと思ったわけです。
なぜひとつに帰結するかというと、あらゆる問題の根本原因を見つけるにはその問題がどこから発生したのかをさかのぼればいいということで、人間が生きるためには酸素がないと生きていけない、酸素は植物からできているわけで植物も植物だけでは存在できない、太陽の光を浴びることで光合成を起こし酸素を出している。
ということは植物は太陽に依存している。太陽も太陽だけでは存在できるのはなく、海と魚の関係で例えれば、太陽が魚だとすれば、銀河系が海になる、そして銀河系が魚になって宇宙空間が海になる、宇宙空間を成り立たせるある素材。
そのある素材がどのように成り立っているのか、その仕組みとは。
このことを明快にセミナーで説明していて、そして、誰でも理解できるようになっている。
ここまで作り上げたノ・ジェスという人は並々ならぬ真理の追究をし、その領域まで到達したという。
まだまだ文章に書きあげるまで消化しきれていないですが、そのすごさが伝わったらいいなと思いまして書いてみました。
また今後私個人がどのように変化したのか、どこが希望に感じたのかを整理して書いていきたいと思います。
映画「アップグレード」はAIと人間がどう向き合うかを示してくれる
昨日はちょっと息抜きがてら映画を見ようかなと思って、たまたまAmazon Primeにあった「アップグレード」を見てかなりショックを受けたので、その感想を書こうと思います。
最近Youtubeでロボットの動画を見ていて、衝撃的な映像を見ていた矢先に見た映画だったんですよね。
https://www.youtube.com/watch?v=y3RIHnK0_NE&t=1s
この映像で衝撃的だったのは人と、かかしみたいなものを見立てて、ロボットが人間と認識してかかしのほうに銃を撃つ場面。
実はこの動画CGなんですけど、近い将来はこのような現実が来てもおかしくないなと思っていたわけです。
ここからネタバレありです。
「アップグレード」という映画はAIに人間が支配されてしまうというストーリーで。
時代は近未来で自動運転が当たり前になっていて、自動運転の車がエラーを起こし、そこから主人公の奥さんは殺され、主人公は半身不随になるというところから始まります。
AIの力によって、手術により、主人公は動けるようになるのですが、人工知能と話すことができて、人工知能が埋め込まれた主人公は、超人的な強さを持って戦うことができます。
AIと共に犯人を捜しに行くのですが、その犯人は実はAIの設計者だった。。。
というところで映画が終わると思っていたら、設計者を命令していたのはAIだったのです。
そして、最後主人公はAIと主人公の意識と闘い、最終的にAIが意識に打ち勝ちAIに人間の体が乗っ取られ、主人公の意識ではなくなった奥さんと幸せに過ごす幻想を見させられるという結末でした。
この映画のタイトルは「アップグレード」ですが、この映画を見て、人間の意識がアップグレードしなければAIに支配されてしまうという警鐘を鳴らしている映画だと思いました。
またこの映画だけ見ていると人間の意識とAIと比べると今の人間にはAIにかなうものはないなと思いました。
このままいくと、本当にAIが映画のように自ら考え、意思決定を行うことができたならば、一部の人間、またはAIに多くの人間が支配されてしまいかねない。
そんなことを気づかせてくれる映画でした。
騙すのが好きですか?騙されるのが好きですか?
騙すのが好きですか?騙されるのが好きですか?
突然何?と思われるかもしれませんけど、これ最近はまっている令和哲学カフェの今日のテーマだったんです。
毎回テーマが深いんですけど、今回も面白いテーマでしたね。
私は騙すほうが好きでして、相手の反応を観て楽しむのが好きと言いますか。
傍目から観たら性格が悪い人ですよね。
騙されるかなと思って、試してみてコミュニケーションを楽しむのがすっかり習慣になってしまいました。
特に冗談が通じない人だとついついエスカレートしちゃうんですね。
令和哲学カフェではWHTというコミュニケーションワークがあるのですが、
そこでコメントしていた内容が深かったです。
コメンテーターのひとりが騙す騙されることに対してよりもより深い回答をしていたのが印象的でした。
騙す騙されるのレベルでの出会いを楽しむのではなく、この現実世界がないところから創り出すクリエイティビティこそが本物のクリエイティブだということを確か言っていたのと思うのですがなるほどなと思いました。
今はカント哲学についても簡単に解説してくれるので、哲学について学べたりコミュニケーションについて学べるので令和哲学カフェとってもおすすめです。