サポートされることの喜び

私の人生は今まで周りのためにがんばり続ける。

 

そんな人生だったように思います。

 

なぜ周りのためにがんばりつづけるのか。

 

それはやはり家庭環境が大きく影響しているのだと思います。

 

母子家庭で、母親がすごくがんばって私たちを育ててくれた。

 

3人兄弟の長男だった私は、親のためにがんばらなくちゃと思うようにいつしかなってました。

 

それがずっと42年間もやり続けてきたなと今は思い、もうそろそろ、自分の人生を生きたい!と思うようになりました。

 

その決断をしてからというものの様々な応援をもらえるようになりました。

 

今までは人のためにがんばりつづけて、疲れてしまう。

 

一方的に大変そうな人を見つけてはサポートをしてし続けて倒れてしまう。

 

そんな人生を繰り返して、もう一方的な関係性はうんざり。

 

とおもうようになりました。お互いにWinWinできる関係性をつくりたい。

 

と思ってからあれよあれよと今進めいているプロジェクトではかなり内面に向き合ってくれる人と一緒に仕事をするようになっています。

 

自分ひとりで今までは変化しようと思っていたのが、ひとりでもしっかりと向き合ってくれる人と出会えることで変化は加速していくなということを痛感させてもらっています。

 

ひとはひとりでも変化はできるかもしれない。でも、その変化は非常にゆるやかで、孤独な変化。

チームプレーを通しての変化はすごく楽しいし、今までになく内面に踏み込まれるので、来ないでくれと思うときもあるけど、とっても感謝をしている日々です。

 

もしかしたら私がサポートをした人も同じように喜んでいたのかもしれない。

 

そして、その感謝の気持ちを心の奥底ではきちんと受け止め切れていないのではということを感じる日々です。

 

私の本当の変化がはじまっているような。

 

42年間は長かったのか、しかし人類はじめってから見ればそれは極めて短いのか。

 

アースデイに行ってきました

先日アースデイに行ってきました。

 

アースデイとは地球のことについて考える日。

 

毎年代々木公園でたくさんのブースが出展されます。

 

友達に誘われ、行ってきました。

 

アースデイに行くのはひさしぶり。

 

ひさしぶりに行ってみて思ったことは、だいぶオシャレというか、一般の人が普通に参加していたこと。

 

以前のアースデイはヒッピーのような人たちが多かったというか。独特の雰囲気があったのです。

 

これも時代の流れでしょうか。

 

私よく思うことは環境のことについて考える人がたくさん集まっているので、そういう人たちがもっと活発につながったり、交流できるような仕組みを考えたらいいのになと思うのです。

 

ブースに出展している人と話すだけで、つながりは特にはない。

環境について考えている人同士がつながりを持つことによって、もっと大きな力になると思うのです。

 

そんなことを考えさせるアースデイでした。

令和の時代に寄せて

元号が発表されましたね。

 

みなさんは「令和」という元号を見たときにどんなことを感じましたか?

 

今回はこの令和について深い解析をしているブログの記事を見つけたので紹介しながら、これからの日本がどう変化していくのかを共に考えていきたいと思います。

 

こちらのブログでは令和を幟(のぼり)を立てるという意味で解析しています。

 

https://blog.noh-jesu.com/entry/2019/04/01/235736

 

そして、日本から新しいリーダーシップが起きる時代が到来すると言っているのです。

 

今の時代を見てみると、トランプ政権を象徴とするように保守の時代、「アメリカファースト」と言われるようにそれぞれの国が調和を保つというよりは、自国を優先する政策がまかり通っている時代だと言えるのではないでしょうか。

 

安倍政権もトランプを追従するような姿勢を取っている状態です。

 

だからこそ令和の時代は新しいリーダーシップが求められる時代であるのだなぁと、ブログの記事を読んで感じました。

 

幟を立てるという表現も、これから新しい勝負が始まるようなイメージがしていいなと思いました。

 

日本は第二次世界大変でアメリカに戦争で負け、そこからアイデンティティが喪失されてしまいました。

 

アメリカのいいなりになってしまうのも戦争で敗北したことが大きく影響していると思います。

 

これからの時代はAI時代とも言われ、人工知能が人間の知能を遥かに凌駕すると言われています。

 

そんな中で、私達はどのように生きればいいのでしょうか?

 

今までのようにお互いの観点がぶつかり合うな生き方ではなく、ブログに書かれているような日本が元々精神的に持っている「間」の文化、精神性を開花させることによって全てとつながり、調和させていく生き方ができると感じました。 

耳鼻科の先生と権威性のつながり

みなさん、権威性について考えたことってありますでしょうか?

 

権威性・・・ あんまり聞き慣れない言葉ですよね。

権威性について気づいたことがありましたので、シェアします。

 

みなさんは物を買ったり何かを選択するときに何を基準にしていますか?

 

購買の動機について心理的に分析した本がありまして、「影響力の武器」という名著ですけれども、その本の項目に「権威性」というのがあります。

 

権威性とは有名な人や権威のある人に影響されるということで、例えば、物事や何かを買うときに権威性も大きな影響を受けているということです。

 

わかりやすいのが、テレビですね、テレビ番組で、健康をテーマにした番組があるとします。

 

ここで出てくるのがお医者さん。権威のある医師がそれっぽいことを言っただけで、信憑性がある、納得することってありますよね。

 

身近なことでいうと自分が信頼している人、尊敬している人の言葉ってよく聞くと思います。

 

こういう権威性が割と無意識に働いているのです。

 

今回私が気づいたのは、花粉症で耳鼻科に行ったときのこと。

 

とても親身になってくれる先生で好印象だったのですが、その先生が私にアドバイスしたことがありました。

 

「家に入る前に服や髪をはたいたほうがいいですよ」

この一言のアドバイスだったのですが、それから家に入る前にははたくようにしました。

 

ここでちょっと気づいたことがありました。

友達にも全く同じことを言われたのですが、そのときは数回やるだけになってしまって、すぐにやらなくなってしまっていたのです。

 

その友達のことももちろん信頼をしていないわけではないんだけど、医者に言われるとすぐに納得してしまう。

 

その権威性にびっくりしたわけでした。

 

みなさんは何気なくやっていることで権威性が影響していることってありますか?

URLシネマ 幸せの経済学

先日「幸せの経済学」という映画を見に行きました。

 

その映画を見て気づいたことをシェアしたいと思います。

 

「幸せの経済学」という映画はヒマラヤの辺境のラダックという地域で起きた出来事を中心にグローバリゼーションについて考えさせられる映画でした。

 

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グローバリゼーションという言葉はみなさんも聞いたことがあるかと思います。

 

この映画はそのグローバリゼーションが引き起こす問題がストレートに表現されています。

 

ラダックという村はそれまで裕福とは言えないけれども、自給自足ができていて、失業もなく、違う宗教の人同士も争うことなく調和と信頼に溢れていた村でした。

 

その村に突如西洋の消費文化が押し寄せるようになります。

 

それによって、ラダックの人たちは以前は幸せを享受していたのに、西洋の文化や情報が入ってくることで、自分たちの文化が貧しいんだと思うようになったのです。

 

西洋の商品がラダックにやってくることで、価格競争も起きるようになり、雇用も失われるようになり、ラダックが激変していきます。

 

それだけでなく、違う宗教を持っている人同士も争うことのなかった人たちが宗教間の争いも生まれるようになります。

 

この映画で描かれていて、私も不思議に思っていたことがありました。

例えば日本の水と海外からやってきた水の値段がほとんど同じ値段で売られていることを不思議に思ったことはありませんか?

 

かなりの距離を輸送し、輸送の費用がかかっているにもかかわらずなぜ同じ値段で売ることができるのでしょうか?

 

そこには政府が援助しているということなのです。

 

私達の経済は多くの無駄の上で成り立っています。

 

こういう映画を見て思うことは私達は知らないことがたくさんあるということです。

 

そして、今の生活が当たり前にあることを疑うことから社会も変えていけるのだと思いました。

 

私達が何気なく買っているものが、不当な労働の上で成り立っていると知ったらもしかしたら買うものも変わるかもしれません。

 

今の時代はグローバリゼーションが進み、低賃金で雇われている人によって、安価な物が提供されていることも少なくありません。

 

そのような状況を理解することで私達の消費も変わり社会も変わっていくのだと気づかされました。

 

そして、このイベントは映画を見て終わるのではなく、見終わってディスカッションもして共に考える時間も創っていることもすばらしいなと思いました。

 

ただ見て終わるのではなく、同じ問題意識を持った人同士が交流してつながる。

ゆるやかだけれども、そのようなつながりこそが社会を変えていく原動力になるんだと思います。

 

どん底まで凹んでから復活した理由

ここ近年けっこうな悩みがありました。

 

それはやる気がでない。

 

でなくなってしまった理由はいろいろとありますけど、今まで無意識で根性でがんばってきたことに2年くらい前に気づいてから、どう生きていったらいいのか新しいスタートがなかなか切れずにいたのです。

 

それからというものの、感情の起伏も以前より激しくなりまして最近凹むことも多々ありました。

 

交流する人も仕事仲間との交流がほとんどになっていたのもよくなかったでしょうか。

 

それでどん底に陥ったときに友人に相談したわけです。

 

すると私のエンジンを次のように整理してもらいました。

 

私が調子が悪いとき、がんがんがんばっている人をみると迷惑をかけちゃいけないと思い、

そして、がんばりやさんで元気がない人や、困っている人を見ると役に立ちたい、助けたいということに無意識になってしまうようで。

 

人間の脳の世界だとどっちかのバランスを取るしか無いので根本的な解決には至らないということが頭で理解できたのです。

 

そうしたときに、今までうだうだとしていた気持ちからもう一歩がんばろうと踏み出すことができたわけです。

 

今回のことで、わかったことは調子の悪いときはどん底まで行くこと、

その時は誰かに相談してもらうこと、

そして、自分のパターンを整理すること

この3つが大きかったのではないかと思います。

 

この一歩は大きな一歩だと思います。

これからはコツコツとがんばっていきます。

ゲーム・オブ・スローンズから生き方を考える

海外ドラマ、ゲーム・オブ・スローンズが面白いです。

 

いろんな角度からこのドラマを語れるとは思いますが、今回は生き方、死に方について語ってみたいと思います。

 

このドラマは本当に人が簡単に死んでいきます。

 

でも、死に方が様々なんです。ある人はリーダーの命令に逆らい、死刑になるのですが、死にたくないと命乞いをする人、またある人は戦いで傷つき、もう死ぬだけという状態で「なぜ生きているの?」と聞かれるシーンも印象的でした。

 

死ぬ勇気を恐れない人は、自分が深手を負っていて、死が間近に迫っていることを知ると殺してくれとも言って自ら死を選択をする人もいます。

 

自分で死にたいときに死ぬことができる、生に執着しない生き方が随所に描かれています。

 

翻ってみると私達の生き方、死に方はどうでしょうか。

世界中でほとんどの国は安楽死を合法化していません。

 

先日、評論家の西部邁さんの自殺を手助けしたということで、自殺を手伝うことは法に反することになっています。

 

www.sankei.com

 

極論をいうと死に方を自分で選べないのが今の時代の当たり前となっていると思います。

 

ゲーム・オブ・スローンズは名誉のために死ぬという死に方もあります。

リーダーが捕虜になり、ひざまづけば許してやるというシーンもあります。

そのリーダーは殺されることを選択します。

 

いつ死んでもいいように今を一生懸命生きるといいますが、中世の時代、戦争の時代は自国が負けると、家族や子どもまでもが殺されたりひどい仕打ちに合うので、必死に生きてきました。

 

今の時代は先進国では戦争をすることはなく、生きることの自由がある程度認められている状態です。

 

そんな中で何のために生きているのかについて真剣に考えている人がどのくらいいるのでしょうか。

 

ゲーム・オブ・スローンズは世界を支配する、世界を秩序化することを目的にリーダーがそれぞれ違う思想を持って、みなが自分こそが神に選ばれしリーダーだと言って戦います。

 

自由と平和をかけて。

 

私達は国と国との戦争はないので、自由、平和という言葉はそこまで発することがないですが、では今の時代の生きる目的は何なのか。

 

死をかけて生きている人たちを見ていると自問自答させられるのです。