映画「ジョーカー」誰もが幸せになれるには
最近話題の映画「ジョーカー」を見に行きました。
このブログネタバレになると思うのでまだ見てない人はご注意!
すごく重かったけど、かなりメッセージ性のある映画でした。
バットマンをご存じない方のためにちょっと説明するとバットマンの宿敵がジョーカーなんですけど、この映画はジョーカーになるまでを描いている映画で、バットマンシリーズの映画ではかなり異色の映画なんですね。
主人公のアーサーとエリート層との埋めようにも埋められない感じが非常にもどかしい。
今の社会も貧富の格差は是正されるばかりか広がっていくばかりという冷酷な現実。
社会に生きる人の心理を細やかに表現しているところもすごくよかったです。
アーサーはコメディアンを夢見ていたわけですが、現実に置き換えると、夢を目指しているけど実現できない人の象徴だとも言えますよね。
アーサーは母親の面倒をみる心優しい人間だったのですが、やり場のない怒りがついに爆発してしまいます。
これも現実にあることでもあるなと思って大変切実な気持ちになります。介護が大変で心が病んでしまう人もたくさんいます。
アーサーを助ける人は誰もいません。本当に孤独な人生でひたひたと不安が襲ってきます。
今の凶悪な事件が起きる背景にもやり場のない怒りの表れとも言えるのではないかと思います。
そして、映画の後半になってくるとアーサーの妄想だということも明らかになってきます。
アーサーは周りを喜ばせたい、その一心でコメディアンになろうとしますが、夢が現実化されないもどかしさ、そして、信頼をしていた仕事仲間からも騙されたり、病を抱えながらも現実を必死に生きようとするけど、うまくいかない。
現実だけでは生きていけないから、創造の世界で生きるしかなかったのだと思います。
そして、この映画が突きつけるテーマは私はかなり深いなと思いました。
映画を見ていると、どこからどこまでが空想なのかがわからないのです。
もしかするとアーサーは刑務所にいるだけなのかもしれないのです。
私たちが生きている世界も実は虚構の世界なのではないか、そのメッセージを監督は投げかけているのではないのかと思いました。
そして、現実をどう認識するのか、出来事は重要なのではなく、その出来事をどのように認識するのかによって、人は幸せになれるのではないのか。というメッセージも含んでいるのではと思いました。
私がたまに思うことがあります。
No1になる人の背景にはNo1になれなかった人が無限にいるという現実。
その現実だけ見るとではどうやって万人が幸せになることができるのかという疑問を突き付けられます。
だからこそ、現実をどのように認識するのか、No1になれるだけが人生だったら誰も幸せになることはできない。
出来事をすべて感謝、感動で受け取ることができるようになることで、No1に執着せずにプロセスを楽しむことができるし、お互いを尊重することもできるようになると思うのです。
そんな深いメッセージ性を感じさせる映画でした。
ぜひみなさんからも映画の感想をもらえたらとってもうれしいです。
うたの日コンサートに込められている意味
仕事がきっかけでうたの日コンサートの趣旨を知ることになって、沖縄のことを知ることになりました。
今日はうたの日コンサートのことと沖縄のことについてお話したいと思います。
その前に毎年終戦記念日の8月15日付近になると必ず、太平洋戦争のことで、ネット上でいろんな話題が出てきます。
その意見を私は否定することはしませんけど、戦争で戦った人たちがいるから今の私たちがいるのは事実かと思います。
実は沖縄で毎年開催されているうたの日コンサートの趣旨はそんな戦争のことと大きなつながりがあるコンサートだったということがわかりました。
うたの日コンサートの趣旨文を抜粋しますね
http://www.utanohi.jp/about.html
かつて歌い踊ることは不謹慎だと言われた時代がありました。
しかし、それでも沖縄の人は我慢できずに山の中や防空壕の中でこっそりうたいひっそりと踊って、勇気づけあっていたと聞きました。
やがて、身も心も極限状態の中で終戦をむかえた時、悲しみや痛みに耐えながらも気兼ねなく大声でうたい踊れる喜びを、島の人々は心と体全部で感じたはずです。
その時、そこにうたがあったからこそ今日の明るく元気な沖縄があると思うのです。
そのことを忘れないために、そして、子供たちにうたのありがたさを伝えていくために、あえて戦争が終結したとされている「慰霊の日」の翌日6月24日を沖縄の「うたの日」と制定致しました。
この趣旨文を知り、そして、うたの日コンサートを2001年からBEGINさんが主催をしているわけですが、BEGINさんの「島人の宝」を聞いたときに涙が止まりませんでした。
太平洋戦争でアメリカと戦った日本。敗勢が濃厚になり、本土決戦も辞さないとなっているときに、沖縄戦でたくさんの沖縄の方がなくなりました。
私は最近日本の歴史を振り返る機会があって、日本の涙をたくさん感じることがあって。
それで沖縄の人たちのことを思うと号泣しちゃったわけです。
歌い踊ることが不謹慎な時代というのはおそらく沖縄戦で亡くなった方が数多くいてのことだったのでしょう。
その悲しみを歌い踊ることで勇気づけあってきたのが沖縄の人たち。
今も基地が沖縄にある状態で、本土の代わりに複雑な思いを抱えながらうたの力で乗り越えてきていることを思いながらBEGINの島人の宝を聞いたら感極まるものがありました。
島人の宝の歌詞にもいろんな思いがつまっているんだと今回初めて気づかされました。
教科書に書いてあるだけじゃわからない
大切な物がきっとここにあるはずさ
それが島人の宝
島人の宝とは沖縄の人の心のことであると感じました。
毎年うたの日コンサートが開催されているということでぜひ行ってみたいと思いました。
自分を受け入れる
先日まで15日間のセミナーに行ってました。
宇宙がどうやって生まれるのか、宇宙誕生から今ここがどういう仕組みでできているのかを学ぶセミナーでしたけど本当に感動しました。
たくさんの気づきや感動がありましたけど、一番の感動は自分自身を受け入れられたこと。
なぜできたのかはいろんな要因があるとは思いますが、一緒に受講をしてくれた仲間に自分のことを赤裸々にアウトプットをできたこともかなり大きかったかと思います。
そして、今まで自分の苦しめていたのは感情だったのも今回のセミナーで痛感しましたし、その苦しめていた感情がスーッと消えていった感覚がありました。
今までたくさんの人に「自分を癒してね」と言われ続けてきたけど、自分を癒すということがセミナーを受けるまでは全くできませんでしたし、その意味もわかりませんでした。
今なら言える。感情を癒やすことは最も先決なことだと。
しかもそのセミナーでは、自分だけでなく、人間として生まれてきたのは悟るためで、人間が悟るために脳の認識がもともと限界を持つようにできているのだということも理解できるので、自分が変化できれば、人間皆に共通していることなので、みんなに希望を与えることもできるということもわかりました。
こんなにも自分を受け入れることはすがすがしいことなのか。
42年間のわだかまりが消えました。
変化のプロセス
今までもいろんな変化がありましたが、今回は抜本的な変化をやっている感じがします。
今までも変化はたくさんしてきました。
全く自信が持てず人と話すことも避けてきたのが10代だったと思います。
大学に入ってからようやく人と話せるようになってきたけど、本音は話すことはできませんでした。
なぜなら、自分の考えていることは誰もわかってくれない、共感してもらえないだろうと思っていたから。
20代、30代は自分の考えていることが話せる仲間ができて、自分の内面を見ながらも人との交流をとにかくやってきました。
そこで出会いが楽しくなってきました。
40代になってからは一回りして、改めて人と関係性を創るということはどういうことなんだろう。
私が本当にやりたいことは何なのかを模索する時期に入ってきたのかなと思っています。
さらなる変化のためにいろんな人が協力してくれ、いろんな人に協力を求めるようになったのも大きな変化だと思います。
まだ見ぬ新しい自分との出会いにワクワク、ドキドキしている日々です。
れいわ新選組が大躍進した理由
本当にすばらしいことです。
私は山本太郎のことを応援していますが、政策というよりかは彼が実現したい世界に共感するので、応援しているといいますか。
彼の言葉で好きな言葉があります。「生きているだけですばらしい存在なんだよ」ということ。
私も本当にそんな社会を実現させたいと思っています。
大躍進した理由としては今の自民党の政策が貧富の格差をどんどん広げていく中で、そこに反旗を明確に翻したのがれいわ新選組だからだと思っています。
れいわ新選組に寄付が4億円集まったそうですが、そのことも貧富の格差を是正したいという現れであると思います。
いつも反対勢力が自民党を倒そうとすると自民党は姑息な手を使って、反対勢力をなくそうとします。
特に今回明白だったのはメディアです。
メディアは選挙期間中は、山本太郎をれいわ新選組を一切流しませんでした。
そして、選挙が終わったと同時にメディアに出すことをし始めました。
メディアの透明性、信頼性が失墜する出来事だったと思います。
それでも2議席を獲得できたことは本当に大きな勝利だったのではないでしょうか。
これからも応援していきたいと思っています。
自分を大事にしない人におすすめな方法
自分を大事にしない人っていませんか?
私もだいぶ以前よりかは改善されましたが、たまにそういう自分が出てきます。
どういうときに出てくるかというと周りがとっても大変そうになっているとき、自分の身近な人が大変な時。
そんなときに私のエンジンが発動しちゃうのです。
自分のことは置いておいてがんばっちゃって、いつのまにか体がボロボロに。
何度も繰り返してきましたけど、最近もやりそうになっているということに気づいてきました。
仲間から奇想天外なアドバイスをもらったのでやってみようかなと思ってます。
そんな風に自分を大切にしない人におすすめの方法があるということなんです。
何だと思いますか?
それは、自分のために高価なプレゼントをする。
なるほど。。これを聞いて確かにと思いました。
ちょっとやってみようと思います。やってたらまた報告をしますので、お楽しみに^^
身近な人ほど信頼できない
身近な人ほど信頼できないということはありませんか?
私は身近であればあるほど、自分の内面に入らないでほしいということがあります。
身近な人であればあるほど信頼していると思っていたのに信頼できていないということに気づいたことが最近ありました。