東洋哲学でAIが進化する

先日三宅陽一郎さんのイベントに参加しました。

 

三宅さんはAIを活用したゲーム開発に携わっている方で、AIと哲学をテーマに本を執筆しています。

 

前々から気になっていたのですが、参加してみて、ゲーム、AI、哲学が密接につながっていることがわかりました。

 

三宅さんがおっしゃっていましたが、AIには精通していても哲学はわからない、また、哲学のことはわかるけど、AIのことはわからない人がほとんどで、どちらのことも理解しているのが三宅さんで、非常に話が面白かったです。

 

ゲームにAIを搭載することで、普段人間がやっていることと同じことをAIもやっているということがわかります。

 

どういうことかというと、まず自分の体がどこからどこまでなのかを認識させるようにし、そして、空間を認知するようにします。

 

そして、どんな対象物があるのかを判断するということが、人間が普段物事を認識していることと全く同じということなのです。

 

なぜそこに哲学が入ってくるのかというと、今のAIはデカルトの範囲でしか物事が考えられなくて、非常に狭い範囲の中で思考するようになっているとのことです。

 

三宅さんから言わせると西洋の哲学の土台を作っているのがデカルトでそのデカルトの哲学の範囲をより拡張しているのが東洋哲学ということで、今はAIに東洋哲学の領域を実装しようと研究をはじめているということです。

 

西洋の哲学を代表するのはデカルトで、デカルトの考え方は「我思う故に我あり」。

これは疑っている自分だけは存在するということを規定して物事を考えています。

 

この範囲が東洋哲学からするとかなり狭いということです。

 

三宅さんに言わせると必ず西洋哲学の限界が来て、東洋哲学を取り入れないと、AIの発展ができなくなる時代が来ると言っていて、AIの発達と哲学が密接に関わっているということがわかりました。

 

まずは本を読みながらAIのことを勉強しようと思います。